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Brian Eno - Thursday Afternoon [Artist D-F]

「ヒーリング・ミュージック」と銘打ったジャンルがあります。静かなクラシック曲を寄せ集めたり、飽きない程度にメロディアスなシンセサイザーの音だったり、単に波の打ち寄せる音だったりと、その内容は様々ですが、共通しているのは、精神を安定させる、安眠を誘うなどの目的を持っていることです。それはそれでいいのですが、本当の心のケアとは無縁のものだと考えています。もともとある目的のために「従属している」音楽というのを、筆者はあまりよく思わないのですが、「心を癒す」というたいそうな目的を、いとも簡単に掲げることに、とても違和感を感じます。そんなに簡単に人って癒されるの?と思ってしまうのです。

音楽を聴いて癒されることは確かにあります。でもそれは聞き手一人ひとりのとてもパーソナルな理由に左右されることが多く、企画者の意図通りに作用してのことではありません。カウンセリングがそうであるように、心の問題は、「癒す側」「癒される側」という立場の違いが生じただけでも壊れてしまうような、とても難しいデリケートな問題です。そう考えると、ヒーリングを目的とした音楽など意図的に作れるのか、もっと言えば、音楽で、CD一枚で、人の心をいやそうなどと思うのは、あまりに思い上がった考えではないか、と思ってしまいます。

Brian Enoの一連のアンビエント作品は、もちろんヒーリング・ミュージックではありませんし、本人もそんなつもりで作ったことは一度もありません。本作も、もともとは絵画と同じような鑑賞法を意図して作られたビデオ作品の音楽パートで、ビデオとの調和や、美術館という鑑賞の場は考慮されていますが、聞き手の心の中までどうこうしようなどとは考えられていません。いわばとても「無関心」な作品です。

1日20時間を丸々1週間、ぶっ通しで仕事をするなど、肉体的にも精神的にも限界になるような状態のとき、筆者が手にするのはこの作品です。からだ中がジンジンして、頭の中がオーバーヒートでボーっとしているとき。お風呂に入る気力もなく、床に大の字になって天井の一点を見つめたまま、Thursday Afternoonを流します。このとき癒されているとは思いませんし、癒しを求めているわけでもない。ただ、何となくからだ全体から湯気のようにスーッと抜けていくものがあり、膨らんだ脳みそがフーッと萎んでいく感覚があるだけです。しばらくそのまま放心したままじっとしています。

本作を果たして音楽とよんでいいのか、と思います。61分間(CDの場合)、底辺にずっと基調音とも言える一音が流れ、その上に、音符が連なるというより、抽象絵画を描くように、厳選された数少ない音を、61分間という巨大なキャンバスの上に、ひとつひとつ丁寧においていったという趣です。相互の音の関係。反復と不連続の組み合わせ。全体を見渡した構成(全体といっても時間軸なので、一望はできません)。どこを切っても金太郎飴的統一感。これら全てを意識しても意識しなくても、ただ自然とそこにある、という石庭のような世界観。

この「無」なのか「有」なのか、というきわめてプリミティブな次元で鳴るからこそ、からだ全体がその音に包み込まれ、また染み込むように中に入ってきます。まるで36.5度の生理食塩水に浸かっているようです。それが何をどう作用するかわかりませんし、実際、何もしないのかもしれません。それでもThursday Afternoonに自然と手が伸びるのです。

本作を真のヒーリング・ミュージックなどというつもりはありません。ただ筆者にとって「ゼン(禅)・サウンド」なのだ、ということだけ書いておきたいと思います。


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コメント 2

癒される音楽とは人それぞれで違いがあって、それはクラシック音楽かもしれないし、ヘビメタであるのかもしれません。
私が聴いたことの無い作品についての記事であっても、文章の表現力自体の力で引き込まれてしまいます。
by (2006-01-20 21:32) 

ezsin

ありがとうございます。
こうして書いていること自体が、ひとつの癒しになっています。
特に誰かに届いている、というつながりが大切なんだろうなあ、と最近思っています。
by ezsin (2006-01-22 01:45) 

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