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Syd Barrett - The Madcap Laughs [Artist A-C]

Syd Barrettの訃報を知ったのは、ロンドン・ヒースロー空港のロビーで、マンチェスター行きのフライトを待っているときでした。ボーっと眺めていたBBCのニュース画面に、突然現れた「SYD BARRETT DIES」の大きな見出し。そのシュールなシチュエーションがあまりにSyd Barrettらしくて、しばし思考が停止してしまった。30年ぶりに訪れたイギリスで、30年以上前の伝説的な人物の死に接する。これ以外の理由では、聞くことがないんじゃないか、と思いながら昔のアルバムを引っ張り出して聞く。Pink Floydのファーストも引っ張り出して聞く。眠っていたものを突然呼び覚ます感覚。書くまで時間かかったのは、なかなか整理がつかなかったから。今もついているとは言えませんが。

何を言ってもわざとらしい気がします。どんなに持ち上げても、ここ最近、彼の作品を聞くことはなかったし(たぶん世間のほとんどの人も)、名前すら出てきていない。いわば完全に忘れられた存在だったのです。それを死という出来事を契機に書くというのは、あまりに非論理的。うそ臭い。それでもあえて書くのは、そうしないとたぶん永遠に書くことがないだろうから。

改めて聞いてみてものすごく驚いた。ほとんど発見に近かった。これはたぶん、いつどのような形で聞いたとしても同じリアクションになったと思う。本作のちょっとした居心地の悪さ。すごく変なわけではない。けれども、背後にあるものすごく大きな奇妙なものを暗示させる微妙なずれ。それはたぶん「逸脱する美」とでも形容すべきもの。

John Lennonを筆頭として、当時のアーティストはこぞってLSDなどのドラッグに手を出し、その「奇妙な感じ」をつかもうとしていた。もちろんSydもヘビードーパーでしたが、ここで鳴っている音は、他のアーティストのそれとは違う。LSDに頼った音はもっとあからさまに歪んでいて、変であることそのものを賛美していた。Sydは、別に変であろうとしているのではない。すごくまっとうな音楽をやろうとしている。それでもずれている。何だかちょっと変に聞こえる。

ここで「変」と感じるのは私たちの「基準」がもとになっている。規則正しいリズムに、統一感の取れたメロディライン。文法に従った歌詞に、内容に沿った歌い方。でも、なぜそんな基準に囚われる必要があるのだろう。そもそも何で「変」と「普通」を意識しなければいけないのか。Syd Barrettの音楽が一貫して投げかけてくる問題はこれです。

彼の精神的な病をとらえて、私たちが正常の領域にいて、Sydが異常の領域にいるという表現はしたくありません。そもそも「正常」なるものが定義できるとは思っていないので、必然的に異常も定義できない。同じように音楽に普通も変もない。もっと自由な鑑賞があっていいはずだし、そうでなければいけないと思う。そんな開放された耳で改めてMadcap Laughsを聞くと、その透明感の高さに魅了される。何の邪念もない。音楽がもっともピュアな形で、創造の源であるSydの頭の中からポロポロとこぼれてくる。それをそのまま受け取れることができるとき、私たちはSydに追いつくことができるのです。

しかし悲しいかな、「正常」に慣らされた私たちは、まだそこまで成長できていない。正常な世の中にいる限り、そこまでしなければいけない必然性がない。「逸脱の美」を垣間見せてくれたSydは、そのままどんどん遠くに行ってしまい、私たちはついていくことができなくなってしまった。Madcap Laughsは、やっぱり「変なもの」として、私たちの記憶から薄れていき、ついには消えてしまった。

2006年の7月にみんなが聞いたのは、記憶の宇宙の端から落っこちて消えてしまう間際に、一瞬だけ聞こえてきた彼の最後の一声だったのでしょう。これから彼の音楽が聞かれることは、もはやないでしょう。私たちが逸脱の領域までを征服しない限りは。


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