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Gonzales - Solo Piano [Artist G-I]

小さいころ、家の中ではピアノがよく鳴っていました。母親が賛美歌を弾いていたかと思えば、父親が「エリーゼのために」を、いつも同じところでつっかえながら弾いていた。小さいころからちゃんと習わされていた妹が、ハノンの練習曲を延々と弾き、そのうちいやになってやめてしまった。もう少し大きくなってバンドとかをやるようになってから、再び鍵盤に向かってLady Madonnaとかを弾くようになった。

よく引越しをする家族でしたが、移り住む先々で必ず中古のピアノを買っては居間においていた。

誰とはなしに鳴り始めるピアノの音色は、家庭の中の空気のようなものでした。恥ずかしいので、特に誰に聞かせているわけではない。でもみんなの耳にしっかり届いている。

父親の不器用な演奏は、そのまま頑固な生き方を映していたし、鳴らなくなった妹の練習曲は反抗期の無言でした。再び鳴り出したBeatlesは、私たち子供の思春期の主張であり、どんなときにも落ち着いてやさしかったのは母親の調べでした。

今も実家にピアノが置いてあります。もう誰も弾かなくなってしまった。家族の会話が、ピアノを介さなくてもできるようになったからでしょうか。それとも伝えるべき響きがなくなってしまったからでしょうか。よくわかりません。

ただ今でもピアノの音色に特別な思い入れがあることは確かです。例えデパートの中で、白いグランドピアノが雰囲気作りのために演奏されている光景に出くわしても、思わず立ち止まってしまいます。

パリ在住のカナダ人プロデューサー/ピアニストGonzalesのタッチはシンプルです。特に深い思い入れを込めてはいない。ソロピアノは怖いスタイルで、演奏者の「業」が否が応でも出てしまう。そのことをわかった上で、自己を主張しすぎず、かといってバックグラウンドに溶け込んでしまわない微妙な線をいっている。ちょうど自分の勉強部屋にいながら聞いていた、家族の演奏の距離感に近い。

彼自身の言葉によれば、この作品集は光にかざした手によって壁に投影される影絵のようなものらしい。確かに感じはよくわかります。光そのものによるダイレクトなメッセージではなく、影を通した間接的な表現。そこには、ピアノの持つコミュニケーション(光)とメディテーション(影)の2つの要素が、表裏一体となって存在しているのです。

さて、家族でひとりだけピアノを弾けなかった自分は何だったのでしょう。特にひがんでいたわけではありません。じっと聞いているのが好きだった。たぶん、家族で誰かが聞き役に回る必要があったのでしょう。何となく受け止めて吸収する。それで空気のバランスが取れていたのでしょう。

音は受け手があってはじめて音楽として成立する。空に放たれたまま、落ち着くところのない調べは、とても虚しい。家族と自分は、きっと光にかざされた手のひらと、壁に映った蝶の影の関係みたいなものだったのかもしれません。


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