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Luigi Nono - Das Atmende Klarsein [Artist M-O]

Luigi Nono。かわいらしい響きの名前ですが、アイドルではありません。SchoenbergやStockhausenなどと同じ、現代音楽の大家です。音楽史における評価など専門的なことはここでは触れません。ご興味があれば、例えばこんなところで勉強することができます。知的興奮を味わえます。

一時期、現代音楽にはまっていました。正確にははまっていたというより、好奇心から覗いていたといったほうが正しい。未知なるものに対する興味。「わからない」を克服したいという知識欲。音楽を鑑賞するのではなく、冒険を楽しんでいたのです。

一番求めていたのは、常識を壊す快感です。ピアノにスプーンをくくりつけてガチャガチャ鳴らす(Cage)。ヘリコプターに乗って四重奏を演奏する(Stockhausen)。あからさまにスキャンダラスなものから、西洋音楽の規則を一つ一つ壊していく緻密な理論的アプローチまで、私たちが何気なく「音楽」と定義しているものを引き伸ばし、押しつぶし、検証していく作業。そこに常識に凝り固まった自分を発見し、一つずつ殻を破って、ひとまわり大きな認識を発見していく成長のプロセスを体感できたのです。

もっとも壊した後に構築するものがあって、はじめて進化が成立します。壊しっぱなしは荒廃した世界を生むだけです。現代音楽に破壊だけでなく、創造の快感があったかどうかは、筆者の個人的経験の中だけで言うとやや疑問。そこまで知性がついていっていないといってしまえばそれまでですが、少なくともカルチャーとして認識されるレベルの創造まで現代音楽はになうつもりはなかったと言い切ってもいいのではないでしょうか。そこから先はポピュラーミュージックの領域なのです。

Luigi Nonoは、「楽器」の概念に、エレクトロニクスやテープ処理といった新しい表現手段までを加え、概念そのものを拡張した。音響効果的に面白がられていたテクノロジーの可能性に、ちゃんとした理論的裏づけを与えようとした。これは非常に大切なことです。ところが彼の音楽にエレクトロニクスの新しい魅力が宿っているかというと必ずしもそうではない。Kraftwerkの方がその点では野心的だったのかもしれません。理論をすっ飛ばしてさっさとエンタテインメント性に走ったのですから。

だからといってNonoの音楽を過小評価するつもりはありませんし、筆者にそんな資格はありません。80年代初期の本作などもはっきり言って聞きにくいし、きわめて難解です。それでも深遠なメッセージを発していることを感知することができます。

聞く行為に謙虚になる。音と静寂の境目が太い線のように浮かび上がり、改めて音楽を意識することを教えてくれる。どこからが音楽で、どこからが雑音なのか。集中する先に音楽が生まれてくることを緊張感を持って指し示している。

Kraftwerkはポップだけれども、決して新しいポップではない。まだまだ「甘い」ことをLuigi Nonoがいさめている。現代音楽とポピュラー音楽は、つねにいたちごっこをしているのかもしれません。本作のような作品が存在するから、わたしたちの創造の扉は前方に開けていくのです。


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