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Kurt Vile – Wakin On A Pretty Daze [Artist V-Z]

休日はだらだらと過ごすことが多い。
何時間でもただソファの上でゴロゴロしていられる。
トイレに行くのも、ご飯を食べるのも面倒くさくなったりする。
なんてもったいない、と責める自分がいないかと言えばうそになる。
心のどこかにはそんな声がある。
それでも、そんな後ろめたさをもどっかに追いやるかのように、
これでいいじゃないか、というもう一人の自分がぼそぼそとつぶやく。

Kurt Vileの本作を聞いていると、
後者の自分が勝ち誇ったように高笑いをする。
ほら、これでいいんだよ。

長々と続く曲が多い。
それもドラマチックに展開があったり、
ストーリーテリングの必然性からそうなっているのではなく、
ただなんとなく、
まあ、言い切ってしまえば、
だらだらと続くように長い。
終わるかと思えばそこから続き、
変わるかと思えば変わらずにずっと続く。

ところが、これがとても新鮮なのだ。

古くはLP、しばらく前まではCD。
アーティストの作品は、メディアの物理的な制約のせいで、
ずっと「時間枠」の中で捉えられてきた。
40分、あるいは76分。
その中に、どのように曲を収めるか、
聞き手は、その時間をどのように聞くか。

ダウンロードという仕組みが主流になり、
この制約は事実上なくなった。
やろうと思えば、
20分の曲を10個にして一つの作品にしてもいいし、
1分の曲を1つだけ発表してもよい。

アーティストと聞き手の間で、作品(アルバムという集合体でも曲単位でもいいが)が
取り交わされる際に、「時間」という概念が解放されている。
両者間でいかように設定してもいいのだ。

Kurt Vileは、この解放された時間を通して、
居心地の良さの自由を獲得している。
いつまでも続いてほしい快感を、何の気兼ねなく、続けたいだけ続ける。
長さに意図があるわけではない。
自由でいたら、これくらいになっちゃったんです的な、
ゆるーい長さ。

「こんなに長い必要があるのか?」
という問いに対して、
「『必要』って何?」
と聞き返してくる。

展開がない?
メッセージを伝えるにはもっと短くていい?
間延びした感じを与える?
飽きる?

「必要」を後押しするいくつかの「理由」が挙げられるが、
改めて問われてみると、
どれもほとんど説得力がない。
というより、ここで鳴る音楽にはまったく無関係であることに気づく。
そして、そんな批評をしている自分にふと気づき、
ちょっと悲しくなる。

Wakin On A Pretty Dazeを聞くうえで、
時間は時間としてとらえる必要はない。
ただ浸っていたい、と思わせる音楽が、
浸っていたいだけ流れていく。
これほど幸せなことはないではないか。

行事で予定を埋め、
その「占領率」の高さから
「今日は充実した一日だった」
と満足することや、
引退する日までの目標値を手帳に書き込んで、
しゃにむにそれに向かって走り続けることも、
そろそろ飽きてきたのではないか。

というよりそんなことしなくても、
いやというほど、僕たちは追われているのだから。

一日中ソファの上でだらだらと聞き続けるKurt Vile。
Goldtone(黄金の音色)の至福は、
無限ループのまどろみの中にしか
見つけることはできないのだよ。
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