So-net無料ブログ作成
検索選択

Mark Kozalek & Jimmy LaValle - Perils From The Sea [Artist J-L]

とても寂しい音楽
おそらく周辺半径2mぐらいまでしか届くことを想定していないような。
Mark Kozalekは、身近にいる人の、身近ではない不幸な物語をとつとつと歌い、
Jimmy LaValleは、決して拡散することのない電子音を一つ一つ丁寧に紡ぐ。
寂しさは、誰かに向かって歌いかけているように聞こえないところから
来ている気がする。

半径2m以内。
そこにあるただ一つの鏡に向かって、
そこに映る自分自身に向かって、
独白のようにつづられる音楽。

鏡に映る自分に向けて歌う、
というのは十分に普通ではない景色なのだが、
ここには不思議な平安がある。

閉じているようで、開かれているからなのだと思う。

ネットで誰でも文章を書き、写真をアップロードし、
レコメンドを残すことができるようになってもたらされた最大の革命は、
コンテンツは、受け手が感じる価値によって規定されない、
ということだ。

通常、文章の価値は、読み手がそこに感じ入ることで、はじめて確立される。
受け手が価値を認めるものが記事になり、本になり、蔵書される。
一方で、ネットにあふれる数多の文章は、そのほとんどが、読み手に取って
価値あるものではない。

書き手の一方的な行為によって、そこに存在している。
送り手の都合だけでコンテンツが存在できるようになった。

それでは人はなぜ書くのか。
コンテンツの「価値」はどのように決まるのか。

より多くの人に自分を知ってもらうため?
いいねをたくさんもらうため?
リツイートをたくさんしてもらうため?
誰かと繋がりたいため?

このブログも御多分にもれず、あまり読まれることがない。
調べてみると、一日数回ぐらいのアクセス
幸運にもこれを読んでいる人がいるとすれば、
かなり奇跡的な巡り合わせといってもいいぐらいの頻度だ。
多くの人に知ってもらうどころのレベルではないし、
そういう野心も、まったく消えたとは言わないが、
続けることの主要な理由にはなっていない。

それではなぜ続けているのか。

特定の誰かに伝えたいためでも、
世の中に存在の証拠を残したいからでもない。

あるとすれば唯一、
そういうことに繋がるかもしれない、
「開かれた世界」に触れるため、そのためだ。

この文章が、この言葉のひとつひとつが、
外に開かれていて、誰の目にもとまることができる、
その実感を得るために、今日もまたひとつ石を積み上げていく。
開かれた場にあること、そのことが価値なのだ。

コミュニケーションの第一歩は、
コミュニケーションを取りたい相手を特定することや、
コミュニケーションしたい内容を決めることではなく、
コミュニケーションが成立しうる開かれた場があることを
実感することではないだろうか。

Perils From The Seaの寂しさと平安は、
このとても簡単な人の営みの原点をしっかりと認識し、
とても大切にしているがゆえに醸し出されるものなのだろう。

そこに具体的な「あなた」がいなくても、
ただ鏡に映る自分に対して歌っているとしても、
鏡の自分の後ろに世界が映っていること、
そこに誰かが映るかもしれないこと。
半径2mの先にも世界がちゃんと続いていること、
そこに誰かがいるかもしれないこと。
その地点から動くことなく発せられる音楽。

不思議とそれは、いや、それ故に、
心のどこまでも沁みこんでいく。
特定の相手も、
特定の意図もないがゆえに、
止める理由も、躊躇する理由もなく、
自分の思考の隅々にまで広がっていくのだ。

今日もひとつの文章が書けた。
Perils From The Seaのような浸透力はないが、
そんなことはどうでもよいのだ。
今日も一つ、開かれた場に小石を置くことができた。
それだけでいいのだ。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。