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Big Thief - Masterpiece [Artist A-C]

稀有なバンドには不思議と生命体の命が宿る。
個々のメンバーはそれぞれのパートを担い、人為的な営みとして1つのバンドサウンドが構築されていくのだけれども、あるときその音の中にアイデンティティが産み落とされる。

その命は徐々に成長し、構成メンバーでもコントロールできないものへと進化する。
良くも悪くも、メンバーだけでなく、ファンをもその配下に従属させていく。

Big Thiefは、
硬軟自由なフロントシンガー、
切れ味と情感を兼ね備えたギタリスト、
息を呑むほど高い完成度の楽曲、
とバンドとしての知性が際立っており、あっという間にバンドの生命体が宿っている。

もうすぐセカンドアルバムが出るというタイミングで、その瞬間を今か今かとドキドキしながら待つ。
それはきっとメンバーも同じなのではないかと思う。
このバンドはどんな成長を遂げるのだろう、このバンドのために自分たちの果たす役割は何なのだろう。その一部であることに誇りを持ちつつ、自分たちの意図以上に可能性を膨らませるこの生命体と、ワクワクしながら付き合っているに違いない。

どの曲も名曲過ぎ。
デビューアルバムからMasterpieceとはなかなかつけられないものの、そうとしか形容できない。
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Alvvays - Alvvays [Artist A-C]

うれしくて泣けてくるほど、これ以上ないほど、まんまのインディーバンド然。
こういうたたずまいをメジャー化する戦略としてあくどく用いることもできるけれども、バンドが持っている本質的なナイーブさは、そう簡単に作り出すことはできない。

Alvvaysが本物だと感じるのは、この痛々しいナイーブさがそれこそ痛々しいほどに伝わってしまうからだ。

しかしこういうデビュー時に持っている甘酸っぱい感覚は、はかない。
ちょっとでも大人になってしまうか、ひねくれてしまうか、少しでも「わかってしまう」と、それは消えてしまう。
下手をするとセカンドアルバムすらまでも持たなかったりする。

二度と同じように鳴らされることがないことが直観的にわかってしまう。
それほど奇跡的な均衡の上で本作は鳴っている。
これはもう、この瞬間に立ち会えていることを精一杯かみしめるしかない。
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Beck - Morning Phase [Artist A-C]

静かに深くからだに染み込んでいき、今までに感じたことのない平安をもたらす。
安らぎともちょっと違う、「平衡感」とでもいうべき静かな状態。

Beckがこの作品を作り、歌い、演奏する中で、感情を極力持ち込むまいとしていることが、この特別な状態を作り出している。彼が今回チャレンジしている音のフォーマットは、わかりやすいメロディライン、重層的なコーラス、クリアなサウンドに代表されるとても「陽」なもの。

明るい音はごく自然に感情にはたらきかけるがゆえに、作り手、聞き手の双方にハイな状態を作り出しやすい。送り手は楽曲にさまざまな思いを込め、受け手はそこにさらに自身の思いを重ねていく。スパイラル状に肥大化していく感情は、やがてパンとはじけていいようのない恥ずかしさに取って代わる。

この「ベタベタ」と「シラケ」にどっぷり漬かりきってしまった「カリフォルニアンサウンド(彼自身そう形容している)」の中に眠る、本来の音の形を蘇らせたい、というのがBeckの製作意図なのだろう。無感情だけれども、冷たくも感じないのは、真剣に音にだけ集中しているからだ。

彼の丁寧な取り組みによって現れてきた音を前にして、私たちはただ息を呑む。
「美しい」という感情に移行する直前の、「息を呑む」状態にずっととどまらせてくれる。それがMorning Phaseの新しさであり、すごさなのだ。
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Neneh Cherry - Blank Project [Artist A-C]

張り詰めた空気がビシビシ伝わってくる。
骨太のベースを基調に、最小限のパーカッションで構成された音は、何をも寄せ付けない存在感を醸しているが、Nenehの歌はそれをものともせずに場を支配してしまっている。調和している感じではないのに、対立している感じもしない。両者は不思議な両立感を持って音場を形成している。

この「声」という主体と、「音」という背景のコントラストが生み出す緊張感は、武術の雰囲気に似ている。まるで空手の型の演技を見ている・体感しているかのようだ。

カンフー映画のように実際に戦っている派手さがあるわけではない。
敵がいようといまいと、隙を与えずに個を守り、その場の空気をも変えてしまう見えない・見せない力。

革新性がその異質という表層のみでひとつの興味対象として消費されていく中、本当に意識や考え方を動かしていくのはこういう音楽なのだろうと思う。
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Bombay Bicycle Club - So Long, See You Tomorrow [Artist A-C]

音楽業界が厳しいといわれて久しい。
市場の大半を占める物理メディア(CD)の売上がここ数年で急激に減少、デジタル配信が取って代わるも、CD最盛期には遠く及ばない。ライブやイベントなどの収入も、増えてはいるものの全体に占める割合は10%前後のようだ。

アーティストにとっても、デジタル機器、インターネットの発展と普及で制作、発信、配信のコストが大幅に下がり、今までとは違う競争環境の中で活動を再定義していく必要に迫られている。

もっともレコード会社やラジオ局が牛耳る供給の仕組みと、そこをうまく利用して活動してきたアーティストとの関係だけで成り立つ業界の構造は、考えようによっては長く続きすぎたとも言える。

誰だって歌いたい歌を歌いたいし(著作権というものを気にせず)、聞きたい音楽を聞く方法はいくらでもあるし(ラジオ以外にも)、金銭的に換算される音楽の価値が一律同じ値段である必要もない(どんな曲でも150円?)。大衆音楽が抱えている、漠然としているけれどもいったん火がつくと何でもひっくり返してしまうエネルギーに、ようやく火がついたということなのかもしれない。変革は必然なのだ。

一方で、やっかいなのは業界の仕組みだけが問題ではないところだ。
エンタテインメントの多様化とそれらへのアクセスの容易さが飛躍的に向上し、音楽は他の選択肢との間で熾烈な競争にさらされるようになった。

個人的にも、ここ数年落ち着いて音楽を聞く時間がなかったのだが、今、片道1時間の車通勤をするようになって、ようやくアルバム一枚を聞けるようになった。そう、運転中はゲームも、メールも、メッセージも、動画も見ることができない。唯一音楽だけが選択できる環境なのだ。逆にそういう有利な環境でもない限り、なかなか音楽を選択してもらえなくなってきていると言える。

いま音楽が直面する一番の課題は、「スマホの10分」なのだと思う。
すべての人の手に行き渡りそうなスマートフォン。ほとんど24時間そばにい続ける存在になりつつあるデジタルデバイス。すべてが選択可能な、行動のメインハブになりつつある。

今日は何をしようか、何をしたら面白いだろうか、といった行動判断の起点だけでなく、朝の歯磨きのついで、通勤ホームの電車を待つ間、退屈な授業や打ち合わせの最中など、ちょっと空いた時間の穴埋めの際にも、つねにそこにいて選択を促してくる。すべてへタップひとつでいざなってくれる 。It's just a tap awayなのだ。

そのときに音楽を選択してもらえるか、あの曲を聞こう、あの音楽が聞きたい、と思ってもらえるか。そうでなければ、私たちはすぐにLINEに行ってしまい、YouTubeを見てしまい、ツイートし、配信された漫画を読んでしまうのだから。

では選択の決め手となるのは何だろうか。
キーワードでいえばStickiness。粘着性、捉えて離さない、という意味。
優れた漫画やゲームが持つ、いったんやり出すとやめられなくなるあの性質。やむなく中断しても、ちょっとでも時間が空くと続きをやらなくてはいられなくなる状態。次々関連動画を見てしまうのも、いったん始まるとスルーできなくなるメッセージも、スレッドをひたすら読み続けてしまうのも、すべてそこにStickinessが備わっているからだ。

このことに気づいている音楽アーティストはどれだけいるのだろう。
もっと多くの人に聞いてもらいたい、
もっとCDをデジタル配信を売りたい、
もっとライブに人が来てほしい。
そのことを実現するには、まずスマホの10分を勝ち取らないといけないのだ。
そしてスマホの10分を勝ち取るためには、Stickinessがなければ話にならないのだ。

とてもとても長い長い前置きになってしまったが、Bombay Bicycle ClubはStickyだ。いったん聞き出すとやめられない。空いた時間ができると、1曲聞きたい。もうちょっと時間があるともう1曲聞きたくなる。彼らの楽曲へのこだわり、メロディ、アレンジ、世界観のすべてがStickinessの獲得に費やされているかのようだ。それくらいの執拗さをもって一曲一曲の完成度を追求している。これをポップとかロックとか安易にカテゴライズするのは気が引ける。バンドというユニットから発することのできる、人の興味を引きずり込んで乗っ取ってしまうことのできる究極の「憑依サウンド」を、彼らは目指しているのだ。

これは皮肉でもなんでもないが、音楽のStickinessの獲得のためにもっとも大切なことは、ひたすら楽曲に没頭して、すばらしい音楽を作ることだ。アーティストとしては、これからは配信だ、ライブだ、ブランド管理だと環境変化の中でいろいろ考えなくてはいけないことがあるのだろうし、事実それは避けて通れないことでもある。しかしそんな中にあっても、一番シンプルな原点がいまだにもっとも大事なことなのだといえることは、とても幸せなことだと思う。
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Olafur Arnalds - For Now I Am Winter [Artist A-C]

しばらく前のことだが、今はもうなくなってしまった
あるイベントスペースの空間音楽を担当していた。
担当していたといっても、お金をもらっていたわけではなく、
またそのスペースも営利目的で営業していたわけではなかった。
そういう場に流す音楽の著作権の問題なども、
本当はあったのだろうけれど、
ごくごくプライベートな空間だったので、
まあいいかな、という感じでいた。

真っ白なつくりで、外光がスリット越しに刻み込むように刺してくる
凛とした空間だった。

そこでよくかけていたのがOlafur Arnaldsだった。
アイスランドの若い音楽家という以上の情報がなく、
おそらく誰も知らないだろうということが、
なかば安心材料だったのだけれども、
何よりもイベントスペースにもかかわらず、
人を寄せ付けない雰囲気を持った真っ白な空間に
とても合っていたのだ。

現代音楽のような弦楽器の響き、
電子音やノイズ、
か細いボーカル、
人を落ち着かせるようでいて、
心のどこかに不安定感を与える。

場所に合っていたというより、
そこに来る人たちに対して、
そういう攻撃を仕掛けたかった
自分の意図だったといった方が正しい。

そのスペースにあまり多くの人が来ることはなく、
ほどなくして閉鎖されることになった。

その他にも、とてもまじめな会議、
例えば株主総会といったような場の
開会前に流す音楽としても、
Olafurを使ったりした。

おそらく集まっている人たちにとって
もっとも縁遠い、遠いアイスランドの若者が作る
辺境の音楽。

誰も聞いていないことも、
それが何の意味もないことがわかっていながら、
そういうことをしたくてしかたなかった。

これらは、裏方にいる変人の自己満足でしかなかったのだけれども、
この音楽に、「静かな攻撃性」が宿っていることは確かだ。

したり顔の何かに対して、
あからさまな抵抗や迎合をするのではなく、
たたずまいの中に動かしがたい意志を示すこと。

じっとしているがゆえに気づくことは少ない。
だけれども、そんな中にこそ、本当の力が宿っている。
自分がここまでやってこれたのも、
そんな力に支えられてきたゆえなのだろう。

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Black Rebel Motorcycle Club - Specter At The Feast [Artist A-C]

実はいまアメリカに住んでいる。
アメリカに住むということは車に乗るということを意味する。
実際、通勤で毎日60マイル(=約100km)走る。
ハイウェイを走るのだが、そんなイメージするほどかっこいいものではない。
単調な道を単調にただひたすら走る。
片道40分、往復で80分。
車内は完全なリスニングルーム。
往復でこのSpecter At The Feastが聞けて、ちょっとおつりがくる。
つまり再度大音量でRivalあたりをかけて家につくことができる。

これをいうと本人たちは苦笑いするだろうけれども、名前の通りなのだ。
あまりにそのままなのだが、ドライブにはまるのだ。

とはいっても暴走を促すわけではない。
周りを見ていると、ときどき車内で大声で歌いながら(聞こえてこないが口の動きでわかる)、
めちゃくちゃな車線変更をする車がいたりするが、そんな風にはならない。
まあ性格的におとなしいのもあるとは思うが、
この音楽が「切れる」方向に作用するわけではない。

むしろ不思議なのだが、周りの車が止まって見えるのだ。

これは発見したことなのだが、5車線ぐらいのハイウェイを、
同じ方向に向かって何台もの車が同じ速度で並んで走っていると、
みんな止まって見える。
いや、言われてみれば当たり前なのだけど、運転中は、普通はそんな風には考えない。
「うわ、周りの車が止まっている!」
というようなことを、B.R.M.C.の音の中にいるとふと思ったりするのだ。

彼らの音楽が一種の麻痺を引き起こすのだと思う。
爆音は一種の麻酔作用を持つ。
そこに輪をかけて魅惑的な音響装飾がかぶさってくるので、
実際にかなりヤバイ状態になっていると思う。

とはいっても別の意味では覚醒していて、
車列の間を通り抜けてくる白い車線をじっと見つめていると、
B.R.M.C.の音楽の奥底に潜む生温かさの正体を感じる。

ロックは基本的に甘ったれている。
時に高度な政治性や芸術的な革新性を発揮したりするが、
だからといって経済学の新理論や、物理現象の解明などとは異なる。
つまり理性や熟考を通して獲得する人類の英知というものではなく、
もっと直観的で、感覚的で、情緒な作用を通して、
人に、その総和としての社会に影響を及ぼす。
理論に頼らない分、言い訳もあいまいさも内包したままで、存在することができる。
大きな音のひずみや轟音には、人を突き動かす力とともに、
発信者の大いなるわがままもそっくり含まれているのだ。

そんな甘ったれの音楽がなぜこれほどの力を持つのか。
私たちは、こんな甘ったれになぜこれほど惹かれてしまうのか。

明らかに甘々のギターフレーズの洪水の中、
これまたほとんど素面では言えないような
「Lose Yourself(自分を見失いなさい)」
という決め台詞で迫られたときに、
なぜかそれを笑い飛ばすことができない。
それをやり過ごすことができない。

それは、この音の前になすがままの状態で触れたとき、
何かの縛りがほどけていき、
少しだけ楽に息ができるようになってくるのを、
確かな手ごたえとして感じるからだ。

こみあげてくるものをハンドルをぐっと握りしめながら抑え、
止まったままの車列の一群が向かう、
ゆるやかなカーブの先の消失点をじっと見つめる。
その瞬間、そこはハイウェイではなく、天空に変わっている。

甘ったれにしか救えないものがあるのだ、この世の中には。
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Everything's Not Lost - Coldplay [Artist A-C]

被災地で不安な日々を送っている方へ
まだどこかで救助を待っている方へ
懸命に救助を、手当てを、お手伝いをされている方へ
致死量に近い放射線の中で、命をかけて格闘している方へ
この国の人たちの命を、この国の未来を考えて活動している人たちへ

わたしたちにできるのは、今は祈ることしかありません。
でも、まだ全ては失われていないと信じています。

全てが失われることはないのだと。
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Beady Belle - Belvedere [Artist A-C]

清涼感のある通りのいい声で歌われる、シックかつベーシックなラウンジサウンド。スライドギターがくねくねと動きながら、クールなハーモニーが静かに流れていく冒頭のApron Stringsをかけたとたんに、魔法にかかる。気取りすぎず、流行に走りすぎず、ジャズやブルースを謙虚に取り入れる姿勢はとても好感が持てる。本当のリラックスは知的で教養豊かな良識人のサービスから生まれるのだと実感。
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Coldplay - Viva La Vida Or Death And All His Friends [Artist A-C]

Coldplayの新譜は
しばらく前からずっと事件です。
もちろん全世界の音楽シーンにとっても
そうなのですが
一個人としても
明日を生きるか死ぬかの
瀬戸際にかかわる問題であったりするのです。

何で音楽の新譜の一枚が
そんなに大事なのかと
お思いでしょうが、
これはもうなんというか、
依存しているからというしかないのでしょうか。

たとえば、自分があと何年生きるのか
何ヶ月生きるのか
何日生きるのか
そんなことはだれもわからないのですが、
きっとColdplayを聞かなかったら
かなりその日時がずれてしまう。
確実にずれてしまうだろう。
それくらい毎日に影響を及ぼしてしまう。
そんな感じでしょうか。

勝手に命を預けられてしまうColdplayも
たまったものではないでしょうが、
このバンドのすごいところは、
大真面目にそれを受け止め、
大真面目にそれに答えようとし続けるところです。

そんな無茶な、
やめときゃいいのに。
どんな賢いバンドも気づき、考え、実践することを、
このバンドはしない。

どうでもいい聞き手の勝手なわがままに耳を傾け、
何とかなるような、何とかしようとするような
そんな歌を曲を作り続ける。

そんなことで何も解決しないことは、
彼らではなくて、
望んでいるぼくたち自身がいちばんわかっているのに、
裏切るのは、他でもないぼくたちのほうなのに、
それでも愚直に、
何も言わずに彼らは音楽を届け続ける。

やっぱり
涙が止まらない。
ぜんぜん解決の涙ではない。
救いの涙ではない。
Coldplayなんて何もしてくれない。
ぼくたちの毎日なんて、
何も変わらない。
ただどうにもならないことを泣いているだけなのに、
すべてのはけ口をColdplayにぶつけているだけなのに。

そうしていられる場所が、
ほとんどなくなってしまった。
そうしていることが、
ほとんど許されなくなった。

かつては
ママのひざの上で泣いた。
でもママは家を出て、
自分の夢を探しに出かけた。

かつては
パパの腕の中で眠りについた。
でもパパはリストラにあって、
飲み歩いて家になんかいない。

かつては
取っ組み合いのけんかをした後に、
一緒に傷を洗いあった。
でも今は腕をつかむ前に、
「死ね」の言葉に刺されてしまう。

Coldplayをいつまでぼくたちは必要とするのだろう。

皮肉だけれども、Coldplayを卒業するときに
世の中はもっとよくなっているのかもしれない。

Coldplayのほんとうにえらいところは、
そんなこともとうの最初からわかっているところです。

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