So-net無料ブログ作成

Mitski - Bury Me At Makeout Creek [Artist M-O]

僕は16歳までに8回引越しをしている。
ほぼ2年に一度と間隔も同じ。
途中イギリスに4年間行っていたが、そこも例外ではなく、一度引っ越している。

毎回転校を伴うので、友達とも縁が切れる。
なんとなくまた引っ越すのがわかっているので、それほど仲良くならない。
仲良くなるまで付き合えなかったのか、別れるのがさびしいから深入りしなかったのか、今となってはわからない。

人付き合いは得意なほうではなかったが、転校先でいかにうまく溶け込むかの処世術は身に付けた。
「転校生」は色眼鏡で見られるので、目立たないように、それとなく郷のしきたりを感じ取り、郷に従っていくプロセスは、半ばマニュアル化してあって、毎回忠実に履行した。

転校はそれなりにメリットもあって、一度築いたステータスを、それが良くも悪くも、リセットできて、新天地で一からやり直せた。「前はこうやって失敗したから今度はこうやってこんな人物像を目指そう」と。ステータスが良かったことはほとんどなく、毎回毎回居心地の悪い「こんなはずじゃなかった」状態に陥ったが、少なくとも逃げ出せることは救いだった。

当然ながら幼なじみはいない。
いないもなにも、小さいころの知り合いの消息をひとりも知らない。

そしてふるさとという概念がない。
生まれたところは当然わかっているが、何の思いもいだかない。
小さいころの景色はどれも断片的で、自分の現実との連続性が見出せず、映画で見る景色と大きな違いがない。

そういう自分の育ちを恨んだことはないし、全体としては良かった、その強みを活かしてきたと思っている。
良くも悪くもそれが自分を形作り、自分自身をその生い立ちで否定する必要はない。

Mitskiをはじめて聞いたとき衝撃が走った。ものすごく個人的な意味で。
漠然と抱いていたアイデンティティ危機や、思考回路の孤立感のまわりがきれいに晴れていく感じ。
そして何よりもなぜ自分はこんなに非日本の音楽ばかりを求め、そこに固執するのか。
Mitskiのありかたとその音楽から腑に落ちるものを得た。

マイノリティとしての日本人が、いったん日本の社会で居場所を失い、日本以外の場所に居場所を求めたところで、やはりマイノリティとして排除される。そのときに頼れるものは唯一、理念としてユニバーサルで、オープンソース化しているロックであり、ポピュラーミュージックだった。

幼いころに経験したイギリス体験は強烈で、思春期の大半を過ごした日本での鬱屈とした日々を支えたのも、いつか日本の外に出て行けば自分の居場所がある、という思いだった。ロンドンを無理やり故郷に仕立てあげ、ニューヨークを理想郷にして、いろいろなことを我慢した。その後、願いかなって何度も渡米し、大人になって本格的にアメリカで生活するようになって感じたことは、なんてことはない、今までと変わらない疎外感。ここにも居場所はなかった、というあっけらかんとした事実。

日本、イギリス、という問題ではなく、処世術としてきたコミュニティ構築法そのものが断絶を生み、自らを孤立化させていたのだという気づき。

マイノリティの権利が声高に主張されるこのご時勢。LGBT、MeToo、どれをとってもそのマイノリティの定義とされるカテゴリはコミュニティ化されており、少なくともその中では相互に繋がっていることを前提にしている。その団結を核として権利を勝ち取ろうという構図。ところが究極のマイノリティとは、カテゴリではなく、さらに細分化されるひとりひとり、個人に他ならない。

Mitskiがこれほどシーンの中で際立つのは、カテゴリベースのマイノリティ議論の虚を、ロックシーンのど真ん中で、それまでおよそ存在のかけらもなかった日本人という超孤立化したキャラクターとして出現することで象徴的に突いているからだろう。その姿勢と主張は、だからこそ、ものすごくパーソナルな次元で迫ってくる。

Squareというとてつもなく美しい曲がある。
学校で製作されたという前作では、セッションミュージシャン(あるいは学生たち?)による「コミュニティ」バージョンだったが(そのバージョンもすばらしいけれど)、ここではピアノの弾き語り。十八番化した観のある異人種間の悲恋を下敷きとしつつ、ここから浮かび上がるのは、立ち去らざるを得ないMitskiと同じくらい孤独でなすすべもない、四角い部屋に住む不器用なパートナーの姿。LOVEという最後のつながりをもぱっさり切ったところから、ユニバーサルなこれからの新しいアイデンティティの確立を目指すMitskiは、僕にとっては救世主のようなものだ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Nine Inch Nails - Add Violence [Artist M-O]

また5歳の子供の虐待死のニュースがあった。
画面のテキストも音声もすべて遮断したくなるほど、受け止めるだけの耐性がない。
怒りや悲しみや無力感やなにやらのあらゆる感情のはけ口がなく、虚無感だけが支配するこの暗澹たるやるせなさ。
しかしこれが現実。

際限なく暴力を振るうもの。
それをながめるだけの麻痺した傍観者。
そしてなすすべもなく押しつぶされていく弱きもの。

第二次世界大戦の強制収容所で行われたことが、常識の観点からはとうてい理解できず、この世のものとしてリンクさせることを半ば拒否することで精神安定を保とうしてしている中で、こうして紛れもない事実として私たちの周りに存在することの戦慄。

やるせなさの半分は、そんな暴力の片鱗を私たちの誰もが持ち合わせているということ。
そしてこういう現実を生み出す社会を作り出しているのもまた私たちでしかないということ。
私たちは答えを見いだせていないし、弔いの言葉すらもはばかれるほど、救いもない。
どうしたところでこの命は返ってこないし、その叫びは主体を失ったまま永遠に宙を漂い続ける。

NINはそんな叫びの残骸を集め、再生し続けている。
彼らの再生機が鳴り止むことはない。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽